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元ヤンは今!(自己紹介その1)

高校生の頃、ヤンキーをしていた。

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時代がまだしっかり昭和だったころで、バブル到来数年前のことだ。

当時はまだケータイどころかポケベルさえなく、意思の疎通には手紙とアイコンタクトを駆使しなければならず、女子中学生の八割がたは『ファーストキスレモン味説』を信じていて、女子高生の九割がたはバージンだった。

とろろ         
                  
分かってもらえる世代の人にはきっと分かってもらえるだろうが、上の写真のポージングは、初代『金八先生』に出ていた山田麗子(三原順子が演じていた)を意識している。

写真では上半身しか写っていないのでわからないだろうが、ブレザーの袖を折り返していたり、スカートの丈がくるぶしまであったり、そういうところも真似ている。

唯一髪型だけ違うのは、パーマをかけるといつも何だかオバサンくさくなって、友達に「お買い物ですか、奥さん」とか言ってからかわれてしまうからだ。

なので、髪型以外を山田麗子からパクっていた。当時のあたしの憧れの人だ。

「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディ」

このセリフが山田麗子の伝説のセリフであることは、今でもたぶん有名だと思う。当時どこかで使ってみたいと思っていたが、結局使えずじまいだった。大人になった今となっては、使わないでよかったと思っている。

とろろ 
                         
で、上の写真をふまえた上で、次の写真を見てほしい。

conv0014.jpg

実に心洗われる風景だ。

これは今、あたしが住んでいる町の写真だ。高知県の西の端のほうにある。

ヤンキー当時の友人M田はこの写真を見て、
「灰色とピンクの子供のカバが、手つないで走ってそうやな」。
そう言った。

一瞬意味が分からなかった。

灰色と……?

ピンクの……?

カバ……?の子供……?

・・・・・ってアホかーっ!ムーミン谷ちゃうわっ!

とろろ

このムーミン谷に似ている町(認めた?)に、10年近く前、あたしは自分の意志で移り住んだ。どうやらあいつ流されたらしいで、という噂がまことしやかに流れているらしいが、断じて違う。

元ヤンの友人たちは今も、なぜあたしがムーミン谷(認めた!)に移り住んだのか、不思議がっている。

あたしだって自分がこんなふうになるとは思わなかった。

おそらくいろんな人たちの影響を受けて、こういうことになったんだと思う。元ヤンの友人たちも含めて、おもしろい人たちとこれまでとにかくたくさん出会った。おもしろい経験もいっぱいした。

脳が弱って記憶の引き出しが開きにくくなってしまう前に、そういうのをぜんぶ書き残しておきたい。そう思ってブログを始めようと思った。

都会のヤンキーがどうやって田舎のおばちゃんに変貌したのか、もしよかったら読んでみてください。




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……食べようと思えば食べれると思うよ。



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Theme: ★店長日記★ | Genre: 日記
Category: 自己紹介

グレられなかった理由(自己紹介その2)

何だってそうだが、当時、ヤンキーにももちろんレベルがあった。本物から偽物まで。すっごい怖いのから、あんまり怖くないのまで。

あたしたちの時代、ヤンキーというのは自己表現のひとつというか、ファッション的な要素も多々あったように思う。

なぜだか、ヤンキーが流行っていた。

『ツッパリ君人形』(鞄につけてた)とか、『なめ猫』(カード持ってた)とか、『横浜銀蠅』(レコード買ったなー)とか、ドラマ『茜さんのお弁当』(哲太!)とか、漫画『ハイティーン・ブギ』(翔の切り抜き下敷きに入れてた)とか。

もちろんそんなものにまったく無関心の同級生たちもなかにはいたが、たいていは何らかの形で関わっていたし、あたしたちのようにアホほどシビれているのもたくさんいた。

そしてシビれているだけではなく、できればファッション的なヤンキーではなくて、不良になりたいと願ったりもした。

・・・・・まあ要するにグレたかったわけだ。

とろろ

が、結局、あたしはグレることができなかった。学校は好きじゃなかったし、教師とはしょっちゅうぶつかっていたが、なにぶん家庭が、『幸せ家族』すぎた。

不良を夢見る少女にとって、これほど大きな壁はない。

やはり本物の不良になるには、家族とうまくいってなくて、親と喧嘩をして雨のなか飛び出し、そしたら足元にびしょ濡れの子犬がすり寄ってきて、「なんだおまえも行くとこないのか、同じだな俺と」みたいな、そういうのがないと。

事実、グレた友達はみんな、親や家族と分かり合えないことに悩んでいた。

ところが、うちの親ときたら。

「なあ、高校生になってんから門限延ばしてえや」
「ああ、ええで」

快諾。

「学校にバレへんようにするから、バイトしてええ?」
「ああ、したらええわ」

やっぱり快諾。

「彼氏できてん」
「ああ、おめでとう」

祝福!!。

・・・・・・グレにくっ。どこで反抗したらいいのか、分かりにくっ。ていうか、反抗する隙さえないじゃないか、これじゃ!

親が自分を全面的に信用していると分かると、それを裏切るような行動はなかなかとることができないものだ。悪いことをしようとしても、「おかん泣くかな」と思うと、ブレーキがかかる。

タバコは吸えても、シンナーは吸えない。イヤリングはパクれても、現金となるとパクれない。

それにたとえば学校でものすごくいやなことがあって、チクショーと思って帰っても、「おかえりー」と温かく迎えられてしまうと、どうしてもスイッチがオフになってしまう。弟といっしょに『ザ・ベストテン』なんか観たりして、ほのぼのしてしまう。

そうするとチクショーな気持ちが持続しなくて、なかなか不良にはなりづらい。

なのであたしは、レベルの低いヤンキーにしかなれなかった。これ、おかんのせいやからな!




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……おまえが言うなっ!



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Category: 自己紹介

移住宣言

小・中・高と、兵庫県西宮市にある学校に通った。近くには、甲子園球場があった。家の窓からは甲子園球場のライトが見えて、野球中継なんか見ていなくても、風に乗って流れてくる歓声で、タイガースが優勢か劣勢かが判断できた。

お隣りにヤンキーのメッカ中のメッカである尼崎市があるので目立たなかったが、一応西宮にもヤンキーな人たちは生息していた。

というか、あのころはどこの町にだってヤンキーな人たちはいたと思う。それが最近めっきり見かけなくなった気がするのだが、どうなんだろう。もしかして滅びてしまったのだろうか。だとしたら悲しい。

とろろ

そんなあたしも17歳の終わりごろには、すでに少しヤンキー臭が消えつつあったように思う。

そのころから徐々にヤンキー臭を消していき、でもなんとなく元ヤンキー臭を漂わせつつ、21歳くらいまでは『ひっかけ橋』とか『ナビオ前』とかをうろうろし、26歳くらいまでは神戸の北野界隈で飲み歩いていた。

だからそんなあたしがある日、
「雑然とした都会を離れて田舎に移り住もうと思っている」
と宣言すると、元ヤンキーの友人たちの頭の上には、そろって?マークが並んだ。

????

あいかわらずのアホ面だった。高校のころの授業中の風景を思い出してしまった。あのころは毎日、?マークを浮かべながら生きていた。

で、沈黙。

で、約一分後。

「借金か?」

友人M田が言い、みんながはっとした顔であたしを見た。ムカついたが、こらえた。そこで喧嘩はしたくなかった。

あたしは冷静に借金疑惑を否定して、自分の思いのたけをぶつけた。

「去年、地震(阪神大震災)あったやろ?あれでいろんなもん失くしたやん。けどうちらは命が残っただけ幸せやったと思うねん。せやからその命を大事にせなあかんって思うたとき、自分の望む生き方を手に入れようって思ってん。それが田舎への移住やねん。生活とか時間とかに追われんと、自然のなかで暮らしてみたいねん」

………決まった!

あたしはそう思った。前日考えていたとおりのセリフを、前日考えていたとおりのカッコよさで言えた。そしてそれは予定では、やつらの胸を強く打つはずの言葉でもあった。

なのに!

「あんた、生活にも時間にも追われてへんやん」

………って、そこかいっ。

「そら確かにボーッと生きてるほうやとは思うけど、もっとボーッと生きたってええやろっ」

そんなふうに結局はまったく冷静じゃなく気持ちをぶつけて、みんなには移住を理解してもらった。考えてみると元ヤン仲間は頭で生きている種族ではないので、理屈よりも感情でぶつかるほうが早いのだ。それは今も変わらない。

そしてあたしは友人たちと離れて、高知の田舎町に移り住んだ。次は家族のことを書きます。




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……だから、おまえのことも次に書くから。



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Category: 自己紹介

さよなら穏やかな日々

今朝、犬の散歩に行ったら、ちょっと感動する光景に出会った。

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朝6時半ごろの眺めだ。山と山の隙間に朝日がすっぽりと納まっている。

もっと言えば、左側の山のあのあたりには古い神社があるので、鳥居の向こうから光が射しているようでもある。

こんな日は何かいいことがあるに違いない。誰だってきっとそう思うだろう。

とろろ

そういえば高校生のころ、体育のFという女の教師に、
「遅刻ばっかりしてへんで、たまには早起きしてみなさい。朝の空気は気持ちええから」
そう言われたことがあった。

そのときは確か『アホかオバハン』と思っていたが、きっと今ならFとも話が合うだろう。

確かに朝の空気は気持ちがいい。特に今日の朝みたいにスペシャルな景色をプレゼントされると、神に感謝さえしてしまいそうだ(しないけど)。

とろろ

というわけで、すごくいい気分で散歩から戻り、ダンナにデジカメの画像を見せて自慢したあと朝ごはんを食べていると、8時半過ぎに電話がかかってきた。

電話に出なくても、誰だかは分かった。

母親だ。

母親はNHKの朝の連続テレビ小説をもう何十年も見続けている人なので、いつもそれが終わってからでないと電話してこない。

終わって、ニュースに変わったあたりで、「さて娘の声でも聞こか」と思うらしいのだ。

今日もそうだった。出るとやっぱりテンションの高い母親の声が受話器から響いた。

「おっはよー。どない?」

何がどない?なんだろう。そうは思いつつも今日は朝から気分がいいので、適当に話を合わせてやった。つまらない話にも笑ってあげたし、貧相なボケにもつっこんでやった。

遠く離れて一人で暮らしている母親に、あたしができるのは電話で話をしてやることくらいだ。そういう思いが常にある。

だから、「天王寺のお風呂が千円キャンペーンでどうのこうの」とか、「回転寿司に行って玉子とマグロとかっぱ巻きと(以下略)食べた」とか、そんなどうでもいい話だって、「うんうん」と聞いてやっているのだ。

なのに!

最後電話を切るときに言った母親の言葉で愕然となった。

「ほんなら、来週からよろしくね」

えっ……?

   らいしゅ……う?から……?

     よろし……く……ね?

Σ( ゚∀)ゲッ!!

忘れてた!今日の今日まで忘れてた!あさってから10月やん!そんで前から10月に入ったら遊びにくるって言うてたやん!

しかも半月もおるって言うてたやん!

とろろ

というわけで、我が家の穏やかな日常は、来週からいったん休止せざるをえなくなりそうだ。

うちの母親は都会の喧騒をそのままかぶって歩いているような人なので、寝ているときと、口に何かを詰め込んでいるとき以外には、常に何かをしゃべっている。

しゃべってないと心臓が止まるとでも思っているのかもしれない。

あたしも別に無口なほうではないと思うが、母親のエンドレストークにつきあっていると、さすがに脳みそがドロドロになる。

なので来週からの日々を思うと、正直かなり気が重い。

きっと今朝のあの美しい眺めは神様からの贈り物なんかではなく、悪魔からの予告だったに違いない。

だから写真を見てしまったあなた!あなたにも悪魔が微笑むかもよ!




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……おまえが微笑むな!



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エセ芸術祭

芸術の秋であり、食欲の秋でもある。
その二つを見事にマッチングさせた写真展が、高知県西部で開かれたらしい。

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外人さんA 「何か食うとるな、こいつ」
外人さんB 「ダンゴの棒ちゃうか」
外人さんC 「飼い主の食うたあとのベタベタしたとこしゃぶらせとんねんで、これ」

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外人さんD 「何や知らんけど、必死やな」
外人さんE 「うちらに何か訴えかけとるで。胸打たれるわ」

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外人さんF 「なあ見てみ。今度は舌使いはじめたで」
外人さんG 「あかん。切のうて見てられへん」

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外人さんH 「ねえあんた、このコに缶詰送ったってえや」
外人さん I 「あたりまえや。ジャーキーかてつけたるわ」

とろろ

と、こんな作品が作れるサイトが流行っているようなので、やってみた。
案外楽しくて、真剣にハマった。

ネットの世界では、田舎も都会も流行にほとんど差が出ないのがすごい。

買ったばかりのTシャツなのに、大阪から遊びに来た姪っ子たちに、

「おばちゃん、それ流行ったん去年やで」

と言われてしまう、現実社会とはぜんぜん違う。

というわけで、もう一回遊んでこよーっと!



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